日本におけるエネルギー利用の歴史!薪から石油までの流れを解説!

環境・エネルギー

人間にとって、エネルギーは日々の生活に欠かせないものですよね!

エネルギーに関する基礎的なお話は、以下の記事で解説しております。

今回は、日本において昔はエネルギーが使われていたのか。

そしてどのような変遷を経て現代のエネルギー利用の歴史に変わったのかを解説いたします。

世界全体におけるエネルギー利用の変遷

人とエネルギーの歴史は、現代から数十万年前に人類が火を発見したことから始まりました。

薪などを燃やすことで暖を取り、食料を調理したのです。

これらは歴史の教科書でもおなじみの話ですね。

そして一万年前に農業が始まると、家畜を動力源として耕作をし始めました。

また紀元前4000年ごろからは暖房用に石炭が利用され始めました。

そして正確な時期は不明ですが、紀元前にはすでに風車や水車等が動力として用いられています。

やがて16世紀ごろには石炭を動力としても活用するようになりました。

特に18世紀半ばから19世紀にかけて産業革命が行われています。

この産業革命を経て、人類のエネルギー利用は劇的に変化したのでした。

その後20世紀半ばに、アフリカや中東で油田の報告が相次ぎます。

そして今日の世界においては、石油がエネルギーの中心となっています。

もちろん天然ガスや原子力や再生可能エネルギーも、これまでに注目されてきました。

しかしながら、世界のエネルギーの中心は今もなお石油なのです。

日本のエネルギー利用の変遷

明治時代の電気事業

日本においては、長らく主要なエネルギー源は薪や炭などでした。

これが大きく変化したのは、明治時代からです。

明治時代に入り、ガス燈、電燈などによる電力利用が導入されました。

やがて石炭を用いた火力発電所も稼働するようになったのです。

このとき東京をはじめ、全国各地で電燈会社が設立されました。

一方、日本は水資源が豊富な国でもあります。

明治時代の半ばごろから、各地で大量の水力発電所が建設されるようになりました。

一時期は電力消費量の半分以上を水力が占めるようになったそうです。

電力会社の競争と統合

1911年に電気事業法が制定されると電気事業は飛躍的に発展。

電力事業者の間で激しい競争が生じました。

ここで室田武さんが1993年に書かれた『電力自由化の経済学』(宝島社)から引用します。

激しい競争の過程で、資金力や技術力の優れている会社は、他社を吸収・合併するなどしてますます大規模経営を展開するようになる。それらの中でも特に巨大化したのが、東京電燈を含むいわゆる「五大電力」である。

室田武(1993)『電力自由化の経済学』宝島社

このように記されています。

つまり電気事業における企業集中が進んだことで。五大電力体制が整ったのです。

五大電力は、それぞれ以下の通りです。

  1. 東邦電力
  2. 東京電燈
  3. 大同電力
  4. 宇治川電力
  5. 日本電力

1920年代に日本は戦時経済へと転換したことで、電力の国家統制の必要性が論じられました。

国が電力会社への関与を強め、1932年に電力連盟を結成。

これは日本の電気事業が、本格的な統制時代に入ったことを意味します。

その後1939年には、日本発送電株式会社が設立。

日本国内の発電・送電事業を一括して担うこととなりました。

さらに1941年にかけて、全国の電力事業者を地方ごとに9ブロックに区分。

同じブロック内の事業者は統合され、各地方に配電会社が設立されたのでした。

これが今の大手電力会社の前身となる9配電体制であり、各地方の配電事業を担当したのです。

1945年に日本が敗戦すると電力の戦時体制が廃止となり、新たな電力体制が求められました。

また1950年には電気事業再編成令・公益事業令が公布。

1951年に日本発送電は解体されるとともに、9配電会社にそれぞれ発電設備が移管されました。

これにより発電から送電・配電までを1つの会社が一貫して行う「発送電一貫体制」を確立。

9配電会社は地域独占の電気事業会社として再編されたのでした。

これが沖縄電力を除く、東京電力等といった大手電力会社の始まりです。

戦後の経済成長とエネルギー利用の変遷

さて、戦後の日本は復興に伴い電力不足に陥ることになります。

戦時中の日本は燈火管制が発令されていましたが、1945年にこれが解除。

一般家庭の電灯需要は1946年には1944年の約2倍にまで上昇し、電力の供給不足となったのです。

また戦争によって都市部は甚大な損害を受けていたため、都市の多くの火力発電が損壊しました。

都市遠方の水力発電においても、戦争により管理者の不足化や設備の老朽・荒廃化していました。

このため1948年には、電力不足が常態化します。

さらに1950年から1953年にかけての朝鮮特需により、日本の生活水準は戦前の水準にまで上昇。

その後1960年代より、日本は高度経済成長期に入ります。

この頃に世界で石油資源が普及したことから、日本は石油を輸入。

その後の1973年のオイルショックまで、多少の不況を経験しながらも発展し続けました。

石油の価格が安かったことから、石油火力発電の需要が増加したのです。

これにより「水主火従」の電力システムだった日本は、「火主水従」の時代となったのです。

水力発電よりも火力発電が中心となったということですね。

おまけ 日本の電気料金の背景

ところで、日本の昔の電力事業者は、料金の値下げに努力するなど様々な工夫をしていました。

しかし、1931年に電力料金の政府許可制を含む電気事業法改正法が成立。

その直後に「総括原価方式」が考案されました。

総括原価方式は、作った発電所のコストが高くても電力料金に反映できるシステムです。

これ自体は、大型の発電所を集中的に立地させる上ではとても優位な方式です。

これにより、戦後の急伸した電力需要に対応することができました。

しかし、これは現在の日本には必ずしも適した方式ではありません。

今日もなお総括原価方式は続いており、日本の電力料金が国際水準より高いことの要因なのです。

最後に

今回は、日本における人とエネルギーの歴史について解説しました。

少しずつエネルギーに関する記事も増やしてまいります。

みなさんがエネルギー問題をより身近に感じていただく、そのきっかけになれば幸いです。

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